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従兄弟が発狂した時幼い僕は酒を飲んだ

”ぱくたそ”さんから

人が発狂した瞬間のエピソードとその隙に

「酒」というものを試してみた幼い頃の思い出話です。

近所の仲良しの親戚

昔々の話になってしまいました。

僕の家は東京とはいえ田園の広がるエリアと街場の境目にありました。
東京と言っても当時は郊外の部類に属していました。

貧乏な借家で両親と三人で暮らしておりました。
別の記事でお察しのとおり幼い私は異様な妄想に取り囲まれて
過敏な毎日を送っていました。
年がら年中風邪と中耳炎を繰り返しながらも静かに暮らしていたんだと思います。
近所に父の兄の一家が住んでいました。
今思い出しても両家は仲が良かったと思います。

父の兄が職人の親方をやっていたので
大きな敷地で羽振りも良く
20才ほども年長でしたが従兄弟が三人おりました。

幼い私は週に二三度は預けられて
従兄弟たちが誰かしらいて
いれば、かまってもらっていたように記憶しています。

昭和も三十年代後半で、何でもかんでもプラス方向に向かっていて
それでも、なんかのんびりもしていて
自然も豊かでいい時代でした。

「となりのトトロ」の時代も同じような時代なんでしょうか
懐かしいかぎりです。

正月の出来事

お正月は決まって親戚参りでした。
確かその家に行くのが元旦、二日が少し離れた父のもう一人の兄の家
三日が母の実家だったかな?

羽振りのいいうちだったからすごい料理がお膳に乗ってたし
お客も多かった
伯父さんはお得意廻りに行ったり帰って来たり

僕はみんながおいしそうに飲んでいる小さい入れ物つまり盃が気になって仕方がない
小さいので何度も何度もやり取りをしている。
それが面白そうだし美味そうなのだ。いい匂いだし・・・
みんなが盛り上がっているところへ
奥の座敷からその家の長男がのそっと現れました。
つまり僕の従兄弟です。

みんなが「さあさあ、飲みなよ」といって席を詰めました。

瞬間、お膳を挟んで正面に座っていた僕は従兄弟の靴下の裏を見たんです。

従兄弟はお膳を蹴ったのでした。
僕は宙に舞ってお膳を上から見たと思ったのですが
お膳が僕に向かってせりあがってきたのでした。

僕は料理だの酒だのを浴びて
びっくりして、泣きました。
とりあえず泣きました。(子供はここで泣くものだと思ったのでしょうか)

大人たちはパニックになって従兄弟を抑えて奥の間に運んでいきました。

残りの大人たちは雑巾だ手ぬぐいだので片付けをする。
泣いている僕をかばう。
僕はどさくさに紛れて泣きながら
少しは無事な盃をなめてみました。

チャンスというのは修羅場に多く散らかっているものです。

美味い!
こりゃ美味い!
その時から隙あらば酒を頂く子供になりました。

従兄弟は病気だったらしい

当の従兄弟は数日前から様子が変だったらしいのですが
突然の行動にはみんな驚いたらしいです。

僕は、父が頻繁にちゃぶ台を空中回転させるので
事象としては免疫があって

泣いたのも、ここは一応泣く場面だなと空気を読んだまででした。

その後従兄弟は入院したのだということで
しばらく姿を見ませんでした。
たまに家で昼寝をしてることも目撃しました。
時々は退院していたのでしょう。

寝てるところを悪戯しようとすると
大人たちにとめられました。

ボーっとしている病気なのだと了解しました。

従兄弟は眠っていないで目をあけていました。
顔にハエがとまっていたんですが子供心に可笑しくもなくかわいそうに思いました。

その後

従兄弟の病気はなかなか良くならないようでした。

たまに快方にあるときは退院してきて
従兄弟の運転で田舎の方にある
野鳥料理や麦とろを食わせる店に行ったりもしました。

みんな「Aちゃんの運てんぢゃ生きた心地がしないよ」なんて
悪たれをついていた。
従兄弟は笑っていました。
しかし、だんだん入院している日の方が多くなっていった。

伯父はいつもそれが心配だったのだろう。
従兄弟の病院に行った次の日
バイクを運転中に心臓発作かなにかで死んだ
冷たい霙の日だった。五十代半ばの死だった。

その後も従兄は日帰り退院で僕の家に尋ねて来る日もありました。
僕もそのころは高校生ぐらいでしたので一緒に話をしましたが
話は支離滅裂で「だめだこりゃ」とおもいました。

その後は、伯母も亡くなりまして。

従兄弟の兄弟たちも早めに所帯を固めていたから
少しはマシだったような気がしました。

いろいろあって、あの大きな屋敷も人手に渡り

従兄弟は病院で死にました。

今でもあの日の酒の味を覚えています。
修羅場で啜った酒は美味かった。

今日も読んで頂きありがとうございます。

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