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死後の世界ってあるのかな(続き)

なんか気になりだして

前回の「死後の世界ってあるのかな」の続きを考えました

自分でもヒマな奴だと思うけど
考えようによっては一番大切なことではないかと思い始めて
だって・・・

「死」って一番大事なことなんだけど

今日の昼は何を食べようかってのも大事だけど
「そもそも」をちゃんと考えないと人生道に迷う羽目になります。

何のために仕事するのとか
何のためにこんな努力するのとか
何のためにあいつに勝たなければいけないの
とか

行きつく先が「生きるため」

でしょ
んで生きていると必ず「死ぬ」わけね

どうせ死んぢゃうなら努力なんて無駄ですよ
いま僕は坊主頭です
どうせ髪はのびるし
やや薄くなってきたし
だからoffにしました。

だからって自殺はしないんだけど

「生きる」を考えるより
「死ぬ」を考えた方がわかりやすいかと思って考え始めたら
コレがなかなかメンドクサイ
簡単に死ぬわけにはいかなくなってきました。

考えても調べても無駄なんだけど

前回も書きましたが臨死体験より先の完全に死んだあとのことは
証明のしようがないのです。
本屋に行っても図書館に行ってもネットで見ても
どれもこれも怪しいものばかりです。

いやいやどこから手を付けてよいものやら・・・

あからさまに
・新興宗教へのお誘い
・自称霊能者
・お金集めセミナー
・学者先生のお小遣い稼ぎ

これを除いて
さてどれほどのものが残るのかな

ある程度はキワドイ仮説になるのかな

ことの性質上
管理人たまいちの主観と好みの結論になるだろうし
嘘くさい体験談も交えて

キワドイ仮説で〆ることになるとは思う
たぶんこの話は今後も
ダラダラとブログで触れるだろうけど
まとめサイトを作る努力をしないと
与太話で終わってしまいますね。

今のところは
脳はチューナーの役目をしていて
脳が考えるのではないと言う考え方の方向は
全部賛成ではないけど思い当たる節はあるんです。

しかし、この系統もネットで見ると
ウンザリするほど語られていますねぇ

どうしたらスッキリするのか

スッキリした結論は無いのだろうなと思います。

世界を見渡したらキリが無いですが
日本国内でもそれぞれの人が
育った環境や教育、思考がありますので
万人向けの結論なんて無いのが本当でしょう。
極論すれば世界の人口分の死後の世界があると思います。
死後の世界は無いと言う人の死後の世界も含めて・・・

ゼロの発見と言うけど

俗に言う「ゼロの発見」というけれど

観念的な思考の上でしかゼロは成り立たないのかな

死んでもゼロにはなりません

一度発生したものはモノでもコトでもゼロには戻せません

そもそも私はゼロから始まった訳ではないし
死んで燃されても炭素は残るし

人生でやったこと自体は減衰して消滅するかに見えますが
影響を受けたものが形を変えて分散しながらも
永遠にゼロにはなりません
ゼロになるどころか複雑な編み目模様を造ってゆくのでしょう。

変な服装で、天国とか地獄に自分がいる姿を想像することは
ちょっと無理なんですけど

何らかの状況で私という、そもそもの錯覚が残っている状態はあると思うのです。
量子力学や般若心経を持ち出すまでもなく
この現実も自分も実体をもたない、ただの変化なのは確かだけど
実際、今は、現実も自分もここにあります

その程度には死後の世界もあると思うのです。

今日もくだらない話に付き合ってくれてありがとうございます。

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