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言葉には毒がある?

ハエトリソウ

言葉は毒をもつ

あの人の言葉には毒がある? やはり棘があるとは言うけど・・・

そんな意味ではなくて
言霊ならば魂だけど 言葉そのものに毒があるんではないかと思うんだ

意味がないから毒がある

言葉には当然意味がある。

最近思うんだけどその意味ってけっこうあやふやなんだなって思う。

例えば
今私はマグカップをそばに置いてこの文章を書いている。
目の前の固い陶器の容器ね、コーヒーとか飲むやつ。
間違いなくマグカップだ。マグって言う。

試しに、「マグ、マグ、マグ、マグマグマグマグマ・・・・・」ずっと言っていると
頭のなかで意味が取れなくなっちゃう。

それでもここに私のマグがあるよ。
言葉と現物は違うんだ。
言葉の意味は本当に軽いかりそめのものだと感じるんだ。

言葉にはたいして意味なんて無いんではないかと感じるときがある。
そのかわり、毒があるような気がするんだよ。

「マグ」に毒があるなんて笑われちゃうのはわかってっる
極微量だけどあると思う。

言葉がないと始まらない

人類は言葉を使って生きていると言っても過言ではないよ

言葉を使って思考するんだ

言葉を使って仲間とコミュニケーションをとる、あたりまえだ。

文字はもとに言葉があればこそできたもの
文字を書いて何かを伝達する

このブログも言葉を使って考えて
言葉を文字に替えて書いているわけだ

言葉で虚構の世界も造りだすよ

物語
抽象的な思考

先ほど書いた「マグ」はここに実物があるんだけど
それを特定するために「マグ」と言う言葉を使う

もし、ここで全くの想像で物語を作って
主人公が飲み物を飲むシーンで「マグ」を使うと書く
すると虚構の「マグ」が浮かび上がってくる

「マグ」は名詞だけど名詞に限らず
言葉ならばどんなことでも相手と自分の脳内に出来事を作れる

マグが  落ちて  割れた

音まで想像する人もいると思う
まあ、どうであれ
言葉が無ければ始まらないんだけどね

「はじめに言葉ありき・・・」

言葉の虚の部分に毒があると思う

言葉って
・実体から少しずれている
・実体が無い虚構
実は、その実体との差に、虚の部分に
毒があるんじゃないかと・・・

言葉と実体のズレになにかあると思う
それを毒と考えてみる

言葉は虚構を簡単に作れることを話した

言葉の二つの特徴
・実体から少しずれている
・実体が無い虚構

人は言葉を使うとき、または思考する時にこの言葉の特徴を意識なんかしない

しかし、この二つの特徴に毒が潜んでいるとしたら
わずかながら微量の毒が虚の部分に潜んでいる。。。
その虚こそが私たちを蝕む毒なのだと思う

毒にまみれてしまった

「おさなごの しだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき」

昔の人はうまいことを言うものだなと。。。

知恵も言葉を蓄積していかないとままならないと言えるかも。

慈悲深い知恵の蓄積ならば歓迎だけど
大抵はマイナスの引力が強いのが言葉だろう

私なんて常時自我に振り回されて
一日中、止め処ない思考で
自分が分泌した言葉に汚染され続けている

つまらない過去の繰り返し
ほとんど起こらない将来の取り越し苦労
わかるはずのない人の心の中
都合のいい妄想

すべて言葉で作り上げているんだ
もうこの年になっちゃうと
仏に遠くなるなんてものではない
毒にまみれて取り返しのつかないことになっちまている

猛毒ならば逃げるだろう
微量の毒だと気づかずに毎日長いこと晒されている
「ただちに健康に影響はありません」だ

だからと言って・・・

だからって
何にもしゃべらない
何も考えない
なんてできない

瞑想って手もあるけど

瞑想法は何も考えなくなって
物事をありのままに見ることを目標にするらしい
ま、それで満足ならばいいんぢゃないの

特定の教団を否定する気は毛頭ないけど
瞑想のかなりいい状態って
選ばれたヒトがいい条件で可能になるんじゃないかな
こんな風に言うとムキになって
日常でも瞑想は取り入れられる!って言われそうだけど

ワ・タ・シ は無理!

瞑想も、禅も日常に生かすことは素晴らしいことだと思う
私はかなりズルい奴だから「生禅」になっちゃうと思う
できたつもりになって却ってややこしい自我ができてしまうと思う

所詮言葉から逃げられないよ
中途半端なところに安住してても
ふと覚めた目で自分を見ちゃうと辛くなっちゃう
ここまで言ってきて消極的な結論で申し訳ない気もするけど

結論は
「何もない」だよ

今日は思い付きで言葉に毒があるなんて言ってみた
読んでくれてありがとう
では、また

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